日语留学论文:文学作品の読解過程における基礎的研究 - 日语论文网
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「文学作品の読解過程における基礎的研究」
~テクストを形成する能動的読み~
目次
0.はじめに
1.先行研究の整理
1.1.文学の記号論
1.1.1.文学解釈における約束事
1.1.2.コミュニケーション行為としての文学
1.1.3.「文学性」
1.2.「開いた」メッセージ
1.2.1.「ファーブラ」と「筋」
1.2.2.テクストがもつ「空所」
1.3.読者の役割
1.3.1.読者という構成概念
1.3.2.テクストに対する信頼感
2.テクスト分析
2.1.予想活動
2.2.テクスト分析───書き出しの機能
2.3.テクスト分析───ブランクと仕掛け
3.能動的読みに関する調査
3.1.調査の実施
3.1.1.調査実施日時
3.1.2.調査用紙
3.2.調査結果
3.2.1.能動的読みの実際例
3.2.2.受動的読みの実際例
4.考察結果
4.1.仮説の検証
4.2.能動的読みが生み出される実態
5.おわりに

脚注
参考文献一覧

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0.はじめに
ウナギ文のような文は、コンテクストなしでその意味内容を相手に伝えることは難しい。何の文脈もなしに「僕はウナギだ」というと、「Iam an eel.」と解釈されがちである。しかし「何を食べる?」に続く「僕はウナギだ」であれば、「 I will have an eel.」という意味内容が、相手に容易に伝わる。このように、文脈は文を理解する上で重要なものである。そして文は文脈というつながりによって文章というまとまりになりうると考える。言い換えると文章は文脈によってひとつのまとまりとして成り立つと考える。
しかしこの文脈とはいったい何なのか。

たとえば、次の2文における文脈、文どうしのつながり、はどう考えられるのか。

①何とか卒論を提出できた今、一年前の自分をふりかえってみると冷や汗がでる思いがする。
②当時、偶然手にした本におもしろおかしく紹介されている内容にひかれて、卒論のテーマを決めてしまった。
(弥島康朗「卒論をおえて」 『国語表現ゼミナール報告7』)
①文と②文は卒論に関することが述べられており、何らかの関係があると思われる。が、この2文並んでいるだけでは文と文のつながりがはっきりしない。ただ同じテーマについて述べられている文を、二つ並べただけで、文章というには何か違和感が起こる。
しかし次の2文ではどうか。

③何とか卒論を提出できた今、一年前の自分をふりかえってみると冷や汗がでる思いがする。
④当時、偶然手にした本におもしろおかしく紹介されている内容にひかれて、卒論のテーマを決めてしまった感が強いからである。
④文に「からである」が伴うことによって、④文は③文の原因、理由を述べているということが明らかになる。

①と②では文どうしのつながりがはっきりしないと述べたが、「からである」という句なしでは本当にこの2文を関係づけることは無理なのだろうか。
⑤エレベーターに乗って、とうのてっぺんに近い第三てんぼう台に上がると、ひやっとする、すずしい風がふいていました。
⑥明るい緑につつまれたパリの町が、遠くまではっきり見えます。
(前川康男「エッフェルとうの足音」『小学国語4上』大阪書籍 平成五年二月十日)
⑤文、⑥文ではこの並び方によってのみ、2文のつながりがわかる。これが、⑥、⑤という並びであれば、
⑥明るい緑につつまれたパリの町が、遠くまではっきり見えます。
⑤エレベーターに乗って、とうのてっぺんに近い第三てんぼう台に上がると、ひやっとする、すずしい風がふいていました。
2文のつながりははっきりしなくなる。⑤、⑥という並びによってのみ「第三展望台からパリの町並みがよく見える。」という関係付けを行うことができる。この文脈をとらえるという作業は言語力、つまり語彙力や文法力といったものとは異なる能力で処理しているのではないかと考える。文脈展開機能が文や文章にあるのではなく、「読み」を行う際に、読み手の側に文脈展開していく能力が求められているのではないだろうか。
母国語話者は無意識のうちに同化吸収した言語体系についての知識を基準にして、ちゃんとした文を産出し理解する能力を備えている。チョムスキーは言語を理解するための出発点がその能力にあることを示したのであった。カラーはこの言語観が文学の理解にたいしてもつ意味を提起する。

(『ガイドブック現代文学理論』ラマーン・セルデン著 栗原裕訳 1989.7 大修館書店)
上に挙げたラマーン・セルデンが述べるように、無意識に読み手の側は、文脈を捉えて、いくつかの文を一つの意味のまとまりに、再構成している。これは、非母国語で考えてみると、より明確になる。次の文を考えてみる。
⑦ Now, I am gonna go pinch a loaf.
When I come back, this is all gone, all right ?
(トイレに行く。帰ってきたら、全部片づいている。いいか。)
(「ショーシャンクの空に」監督・脚本:フランク・ダラボン 松竹富士;’94・アメリカ)
⑦の文章は文法的にも語彙的にも高度な英語でない。それぞれの一文の意味内容は容易に理解できる。しかし文脈を展開し、この文章全体の意味することは何かを考えるのは、また異なる文章力(適当なことばではないが、仮に用いる)が必要となる。
⑦は映画の台詞にあったもので、
⑧私が便所から戻るまでに片づけろ。
と翻訳されていた。

このようにいくつかの文を、文脈によって、一つの単位として解釈していく作業は、読み手の側が、主体的に行っていると考える。⑦を⑧と解釈するには、読み手の主体性に頼るところが大きいと考えられる。このいくつかの文を一つの単位として、解釈する作業はさらに、文章を一つの意味のまとまりとして、解釈する作業につながるものと考える。
従って、この文脈を捉えて、一つの単位として解釈していく作業が、具体的にはどういった活動なのか考えていくことは、文章を読むという行為の姿を明らかにすることへ、つながっていくと考える。本論では、この一つの単位として解釈していく作業を明らかにし、読むとはどういうことなのか、その実態に近づきたいと考える。

さて、この解釈している一つの単位とは、ある物事の一様を理解するために必要な情報のまとまりである。この解釈される情報には、文上に明示される言語情報と、言外の含みとして読み手が読みとる非言語情報との2つがある。この非言語情報を、言語情報に関係づけて、積み重ねていくことで、文脈を展開している。そして、関係付けと積み重ねによる、読みという、意味を生産していく過程が、具体的にはどのような活動によって成り立っているのか、明らかにしていこうとしているのだ。
非言語情報と言っても、書き手によって明示する必要がなく省略された情報と、意識的に隠された情報とがある。読むという行為には、この両方の情報を区別する作業も含まれていると考え、双方の関係についても扱う必要があると考える。
また、非言語情報の獲得は、読み手がどこまで非言語情報を要求しつつ、読み進めて行くかによって、情報の得られ方も異なってくる。非言語情報が明らかにされないまま結末に向かうテクストほど、読み手の負担は重くな

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